思い出一杯のジャンボ機

明日でジャンボジェット機は消えてしまいますが、私にとってジャンボジェット機ボーイング747は色々な場面で搭乗したので、なんだか寂しいです。2歳になる直前の長男を連れて中南米コロンビアに赴任した時は初めての海外転勤で又、直前父が肺がんの手術をして、成田に送りにこれなくて、母が寂しそうに送りに来てくれていた姿を富士山の上空で急に思い出し、涙が止まらなく窓の外をずっと見つめて泣いていました。まだ29歳でした。この時はまだ、赴任するのにエコノミーでした。若いから気にならなかったのでしょうが、ロス経由ボゴタまでは2日がかりでした。ロスで牛乳を上司の奥様に飲まされ、食あたり。仮眠して、コロンビアの飛行機アビアンカに乗り換えるときは本当に辛かったのです。日本を出発した時のセンチな気持ちはこの食あたりですっかり消えて、自分の体と子供がいい子で居てくれる事ばかり祈っていました。記憶から消えない物です。そして2度目の駐在、アラブ首長国、ドバイに向かう時はもう父は亡くなっており、私も40歳近くになっていたので、手荷物が重くて重くて大変でした。この時はビジネスクラスで行けたので、ジャンボ機の2階の席に座れました。この辺から、搭乗時間を守らない私は、何度、空港で呼び出されたことか。皆さんを待たせて、さっと2階席に上がって、席に着くなり、「お待たせいたしました。是より出発いたします」とマイクされ「バシャン!」とドアーを閉められて、「ハイ、私が悪うございました。」と言う気持ちで頭を下げて座っていました。なんだかんだ言われますが、私は矢張り日本航空が好きです。鶴のマークを海外で見るとホットしましたが、あのマークがJALの文字に変わり、がっかりでしたが、又、鶴丸マークが復活するそうです。