68年前の今日

夕方、義父がポツンと私に今日5月2日は私の「屈辱の日」なんですと、言い出し、私は大体aboutな人間なもので、毎年、義父がそう言った日は戦争に関係した日だろうなと思い勘で「船が沈んだ日ですか?」と調子よく聞くと「そうなんだよ。貴方はよく覚えているね」と嬉しそうに話が続きますが、大まかな内容は、義父が乗っていた水上機母艦「瑞穂」が御前崎沖でアメリカ軍のガトー級潜水艦ドラムの雷撃を受け沈没した日なのです。義父は泳いで命が助かったのです。この日に生き残ったメンバーに電話をして、当時の事を確認しあっていたのですが、今年は唯一義父以外生きていらっしゃる方に電話したら、もう電話に出れない状態ですと家族に言われ、凄くショックだったようです。夕食が終わった後も又同じことを繰り返し言い始め「貴方に話した事があったかな?今日は・・」と始ったので、「瑞穂の沈没」と先に言ってしまったのが失敗。皆死んじゃって思い出話ができない。あいつに電話したら、話せる状態じゃないといわれて・・・」と寂しそうに言っていました。でも其の後、「俺は恵まれているな」と自分に言い聞かせていました。話甲斐の無い嫁で申し訳ありません。